2005年新春のごあいさつ
あけましておめでとうございます。本年も「たばちゃ1号の野望」をよろしくお願いします。
今年も年始から恒例の10時間ドラマ「国盗り物語」をみました。やはり時代劇としては、この激動の時代がとても面白いです。美濃のまむしと言われた斉藤道三を北大路欣也さんが演じておられたのですが、やはり重みがあって素晴らしく、ぐいぐいと引き込まれていました。残念ながら、道三が没した後半からクライマックスにかけては、回想でしか登場されませんでしたのでちょっとドラマ全体の重みにかけた様な気がします。
主役級の俳優さんの力はもちろんですが、脇を固める名優さん達の力によっても引き込まれる度合いが変わって来ると以前にも書きました。それは今でもそう思いますけど、最近、イメージも大事では無いか?とも思ったりします。
織田信長は、誰がイメージしても端正な顔立ちで、豊臣秀吉はサル顔。家康はタヌキ顔です。そのイメージに合った俳優さんの場合、すんなりと受け入れられるんですけど、あまりに端正な顔立ちの「秀吉」や、すらっとした「家康」は、どうも拒否反応を示してしまいます。
大好きな漫画がドラマ化されるときに(もしくは、アニメ化でも)、自分のイメージする像と実像があまりに違いすぎると、なかなかその世界に入っていけませんが、それと同じだと思います。
そう言えば、昨年末、ひっそりと「ガラスの仮面42巻」が、実に6年ぶりに発刊されました。ガラスの仮面の主人公「北島マヤ」と言えばどんな役を演じても、完璧に役になりきり、周りを引き込む演技を見せてくれます。それこそ、本人とその役の間にはかなりのギャップがあるのですが、そのギャップを埋めてなお観客を引き摺りこむ演技力なのでしょう。
私の人生では、私が主役です。私が演じている主人公は、私のイメージに合っているのでしょうか?私の目指す、主人公と現実の私との差を埋めるのは、演技では無く努力だと思います。今年の私も、去年の私より少しでも成長出来るように、決意を新たに新春から、パチンコに出掛ける私です。(笑)