ペルセウス異聞

聖徳太子は実は存在しなかった。

少し前に「タモリのヒストリーX」というTV番組で検証されていました。他にも、武田信玄や宮本武蔵など色々な歴史的新説?が展開されていました。

番組で新説を検証していた「劇団ひとり」によると、最近の教科書では、聖徳太子では無く、厩戸王と記載されているとか。これが本当なら、私が子供の頃に勉強した歴史はなんだったのか・・・。って事になってしまいますね。

で、少し興味を持って調べてみたら聖徳太子という名前は、後に付けられた「尊称」であること。そのため最近では本名?である「厩戸王」を使う様になったらしいという事らしいです。

また、著名な歴史学者が「聖徳太子の誕生」という著書の中で「聖徳太子がいなかった」というよりも、皆が知っている様な「類まれな才能に基づき偉大な業績を残した皇太子としての聖徳太子はいなかった」という事を述べられている様です。なるほど、そう考えれば、我々の「よく知っている」「聖徳太子」はいなかったのかも知れませんね。

これまた少し前に、話題になった「足利尊氏」の肖像画が実は「足利尊氏」では無かった。というのもありました。他にも、西郷どん(西郷隆盛)の肖像画は、やっぱり本人では無かったとか、遠山の金さんは、お白州で入れ墨を見せなかったとか、水戸光圀(水戸黄門)は、諸国を漫遊してなかったとか色々ありますね。(って、最後の二つは意味合いが、かなり違いますが。笑)

教科書が変わったという意味では、冥王星が惑星で無くなったというのが、記憶に新しい事実です。これも私が子供の頃は、「水金地火木土天海冥」と覚えていたのに、1979年から20年間は、「水金地火木土天冥海」となっていました。(海王星の周回軌道が、円形なのに対し、冥王星は楕円形であるため冥王星の方が太陽に近くなる場合があるため。)それが、今では冥王星が無くなったんですからびっくりですよね。

ところで、タイトルは友人の作家?「もがみ凉」氏の代表作の一つです。メドウサを倒したペルセウスの神話と現代の物語が、交互にまた時に交錯しながらストーリーが展開していくという名作です。神話の世界と現実の世界、過去と現在、虚構と真実、何が正しくて何が間違っているのか。

新しい事実の発見と共に、歴史的事実と言われてきたものが覆される。これを単なる間違いだったと嘆くか、騙されたと怒るのか、それとも淡々と事実として受け止めるのか。皆さんは、どう考えますか?私は可能性だと考えています。

異聞というのは、これまでの定説とは違った珍しい話のことです。色々な人達が色々な考えや意見を持っています。それを自分と違うからと否定ばかりせず「可能性」として、受け入れながら成長できたらと考えています。

でも現実には、なかなか難しいんですよね。ただ、まだまだ可能性は残っていますよね。可能性わね。(笑)

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